私自身のあら探し/ looking myself in the mouth (1981)
イヴォンヌ・レイナー(訳:中井悠)
私自身のあら探し/ looking myself in the mouth (1981)
イヴォンヌ・レイナー(訳:中井悠)
1 ありがちな話:私が知っていることと、感じていると思っていること
彼女は言う、「そう、私はジョアン・ブレーダーマンと意味作用の実践(signifying practice)における主体について話していて、彼女が理論以外のすべてはフィクションだっていう考えを持ち出したの」。
この実に興味深い考えに集中しようと真剣に努力するものの、彼女は理論について論じるときにいつも立ち戻ってしまうみずからの腹立たしい習慣の自覚によって気が散っている自分に気づく。つまり彼女が「具体的経験(concrete experience)」と呼ぶものを、一人称の代名詞と進行形の動詞というかたちで差し挟むことによって、理論をナラティブに変換してしまう癖だ。たとえば「そう、私は誰それと話していて…」とか、「私は誰それによるこの本を読んでいて…」とか、あるいはもっとひどいのは、「昨日ブロードウェイを歩きながら、考えていたんだけど…」とか。そのわかりやすい動機としては、似たような議論を展開したことのある有名で尊敬されている人物を参照することで、みずからの論点を支えたり補強したりすること、もしくはいま論じている問題に光を投げかけるかもしれないアナロジーを作り出すことがあるだろう。だがその現象を説明する別のやり方もあり、それは対立もしくは矛盾のどちらか――これは人の見方による――を指し示す方法だ。
(模範的な受難者としてのアーティスト)
(自己陶酔的な個人主義者としてのアーティスト)
(主体の変更者としてのアーティスト)
彼女は自分の思考の内容すべてが、自分が読み、聞き、話し、夢に見、そして読んだこと、聞いたこと、話したこと、夢見たことについて考えたことによって構成されていることを知っている。彼女は、思考が特権的であったり、自律的や独創的なものなどではなく、「我思う故に我あり」という定式が、少なくとも不正確であるということを知っている。彼女はまた、具体的な経験という彼女の観念が、矛盾が解消され、人物性(personhood)が示され、永遠に欲望が満たされる、理想化されたフィクショナルな場であることを知っている。だがそれにも関わらず、やはり「そう、私は誰それと話していて…」が持つ魔術的で魅惑的なナラティブの特性は、彼女を避けがたく引き寄せて、すこし混乱させる。彼女は魅惑と懐疑の狭間に震えながら立っている。両者のあいだを執拗に行き来する。
「そう、私は言語によって構成されている」と彼女は考える。「そして、そう、「自己の回復された完全性(restored integrity of the self)」なんてものを私がまじめに主張したことなんて一度もなかったと思う」。彼女は一瞬止まって、甘爪を噛み、そしてようやく――純粋な怒りを爆発させながら―—カメラに正面から向き合い、口走る、「だけど、私が「そう、私は考えていたんだけど….」と言うとき、私を信じた方がいいわよ!」。
言語学的に作者は書くことの契機(instance writing)にすぎない、ちょうど「私」が私と発話する契機にすぎないのと同様に:言語が知っているのは「人物(person)」ではなく「主体(subject)」であり、言語を「束ねる」ため、つまり言語を使い果たすためには、自らを定義づける発話行為(enunciation)の外では空っぽなこの主体で十分なのだ。
ロラン・バルト
(霊媒師(Medium)としてのアーティスト)
(腹話術師としてのアーティスト)
2 ケージアン・ノット
1950年代の終わりと60年代の初めに、当時進行中だったモダニズムの攻撃が標的としたのは、アメリカのモダンダンスの制度においてその時点ですでにコード化されていたいくつかの前提だった:音楽伴奏の必要性、日常的な動作を認めないこと(変化の必要性)、ユーモラス、悲劇的、ドラマチック、そしてリリカルな形式間における厳格で不可侵の区分、運動のシークエンス、クライマックスと展開を支配する規則の存在(「主題と変奏 」)、音楽と運動の関係性、一貫性と統一性のクリシェ化した観念、不調和(dissonance)が調和(harmony)に取って代わるための厳密な条件設定 (「疎外」という「モダンな」テーマにおいて見られるような)。当時のダンスコンサートではよくバルトークを耳にしたものだ。
この攻撃を最初に仕掛けたのはマース・カニングハムとジョン・ケージだった。
(革新者としてのアーティスト)
共通の決意をもって彼らはまぎれもないパンドラの箱を開けることに成功し、その行為はやがて幾千ものダンサー、作曲家、作家そしてパフォーマンス・アーティストたちの船を進水させることとなった。加速的に一般化する大衆に対して解き放たれた、今日なおフルクサス的なパンク・パフォーマンスにおいて顕著である健全で不愉快なアイデアの大群については言うまでもない。私は思い切って、今や「ケージ的効果」はエンカウンター・グループとほとんど同じくらい流行していると言ってしまおう。私が「ケージ的」と言い、「カングハム的」と言わないのは、ここで私が言及し、私自身の活動を展開するにあたってとくに問題となったコンセプトを分節化し、公にしたのはケージだったからだ。私が意図するのは、ジョンの箱の蓋を力づくで閉めてしまうことではなく、むしろ芸術の制作活動においていまなお増幅し続ける彼の思想が、にも関わらず持ついくつかの厄介な含みを検証することである。
生まれつき陽気な性格の人のみが次のようなことを口にすることができる:
このシアターは、しかしながら、生の肯定であって、カオスから秩序を抽出したり、創造行為に対する改良点を提案する試みではない。そうではなく、単にわれわれが生きている生、ひとたび人が自分の精神と欲望をそこから取り除き、それ自体の振る舞うがままにまかせたなら、とてもすばらしいものであるこの生そのものに目覚める方法なのだ。
ジョン・ケージ
(消費者としてのアーティスト)
こうした発言のおろかなまでの素朴さ、ここに見られるルソーの召還や、世界中で行なわれていた自由を求める闘争と帝国主義的な政治の現実を完全に無視した、数年前までのバッキー・フラーのメシアニックな思想に対するケージの執着、そして「誰の生がとてもすばらしく、それは他の者に対するいかなる犠牲の上に成り立っているか」という問いの隠蔽などを問いただすのはやめておこう。このすばらしい生にわれわれが目覚めるための手段とやらに焦点を絞ろう:われわれの精神と欲望を行く手から取り除き、不確定性の芸術、つまり生と芸術の隔たりに存在する芸術がすべての人によって実践されることを可能にすることによってである。こうしたことすべて、そしてもっと多くのことが何百回も、それもひとつ以上の仕方で語られてきた。
私は誰で、ジョン・ケージに対する私の借りとは何なのか?私の初期のダンス(1960—1962)は、コレオグラフされた運動フレーズのシークエンスを確定するために偶然性の手段や即興を用いていた。当時、ニューヨークのジャドソン・チャーチでパフォーマンスをしていた私たちのうちの何人かにとって、反復、不確定なシークエンスの制作、偶然性の方法によって作り出されたシークエンス、そして日常的/変更されていない運動は、古い秩序に対する平手打ちであり、われわれがおぼろげに知っていたように、
(越境者としてのアーティスト)
それはアメリカに移住したデュシャンを介して、シュルレアリストたちへとまっすぐに繋がっていた。
ジョン・ケージが芸術を制作する私たちのような者に対して授けた贈り物とは何なのか。これである:批判的な知性をもって(つまり、選択的そして生産的に)用いられうる、ヒエラルキーに基づかない、不確定な組織化の方法のコンセプチュアルな先行者たちを取り次いでくれたこと。しかしそれはこのすばらしい生に目覚めるためではなく、その反対に、この生がすばらしく、公正で、正しいと信じるように仕向けられた方法に、より容易に目覚めることができるためにである。
選択とコントロールの再導入は、しかしながら、ケージの哲学に対する完全なアンチテーゼであり、そして選択とコントロールこそ、私が直感的に――つまり迷うことなく、ということだが――自分自身の作品におけるケージ的な手段に対して常に加えてきたものだった。この直感が正当であることの裏付けを、私は記号学的分析の観点から見いだすことができた。そして同じ観点から、ケージによる「発話する主体」の脱中心化——もしくはその統一性の侵害――を、実際のことというよりは見かけ上の問題とみなすことができる。
先に進む前に、アメリカのモダニズムのあらゆる議論においてこれほど重要な人物でありながらも、ジョン・ケージが、過去二十年間にわたって目覚ましい成果を積み重ねてきたフロイトとマルクス理論のさまざまな再構築のフレームワークに照らして検証されたことが、私の知るかぎり一度もないということについて、私が心底怒っていることを表明しておきたい。フランスとイギリスにおいて、この問題はそれらの理論的な記述が文学と映画に集中し、音楽を排除してきたという事実に部分的には起因する。これはフランス人たちが――アメリカ的「非合理主義」を美化するかれらの傾向からして――現時点でケージを公平に扱うことができるということではない。イギリス人たちはあまり彼について知らないし、ドイツ人たちはフランスの批判理論を用いるにはあまりにも早く彼をなきものにしてしまった。スウェーデンやデンマークなど、彼が何度も演奏や講演を行なった他の国々で書かれたかもしれない彼についての文章を私は知らない。アメリカにおいては、この最も影響力のある人物が無視されていることについて、私は前衛芸術をめぐる批評の制度を非難したい。さてそれでは誰が残されているのか?私なのか?!批評家が足を踏み入れることを拒否する場所へ芸術家が突進することは往々にしてある。この
(失敗した原始人としてのアーティスト)
(失敗した知識人としてのアーティスト)
人物を取り囲むうるさい沈黙のなかに、私はいくつかの記号学的なさえずりを発してみることにしよう。
3 500ポンドのカナリア
重要性と意味を賦与する原則に対するケージ的な放棄には何が含まれているのか。シニフィアンのシークエンスを不確定にする、もしくはランダムにする方法は、シニフィアンのシニフィエに対する関係における恣意性を付随的に作り出す。それは「風とともに去りぬ」において見られるような、シニフィエによるシニフィアンの削除によってでも、シニフィアン自体、もしくは意味作用の行為を前景化することでそれらを問題含みにしてしまうシニフィエに対するシニフィアンの移行関係でもなく、すべての関係性の否定と抑圧によって特徴づけられる状況である。
これは言語の機能それ自体、そしてその延長で意味作用の主体――ラカンの定義によると、意味作用のシステム、つまり言語のなかで、言語によって構成され、それに依拠する主体――を否定しようとする試み以外の何でもない。
意味作用の行為とは、ディスクールにおける変更によって識別できる、変形と、無限化の喪失を認める(発話する)主体を想定する複雑なプロセスである。しかしながらこの主体は、その形式性のみには還元しえない。なぜならそのディスクールは一方では無意識的で直感的なプロセス、また他方では問題となる実践が遂行される社会的かつ歴史的な制約へと差し戻されるからである。
ジュリア・クリステヴァ
最高の目的は目的をいっさい持たないことである。
ジョン・ケージ
ケージにとって「目的的な」主体を問題化すること、もしくは有限で変化しうる主体を認めることは、とくに音楽の世界にはびこっていた天才とインスピレーションというあれらの憎むべき尺度、
(シャーマンとしてのアーティスト)
(先見の明がある者としてのアーティスト)
そして「曖昧さと隠れた意味(解釈を必要とする)…密やかな目的と不明瞭な内容(注釈を招く)」にふたたび絡めとられるリスクを侵すことだったであろう。ケージがとった解決法は一切合切を捨ててしまうことだった。意味作用の主体の不在において、受け入れられなくなるのは、「ディスクールの変化」に留まらない。社会的/歴史的制約(家父長的秩序じたいはそのなかで最も些細なものではない)による差異と同一性の関係性に位置づけられる主体の不均質さと矛盾に示される無意識の観念もまた受け入れがたくなるのだ。これらのプロセスの外部で作動しようとしながら、ケージ的な「非意味作用の実践」はみずからを言語以前に位置する純粋な観念の領域に存在すると見なす。つまり精神もなく、欲望もなく、差異化もなく、有限性もなく、というわけだ。一言で言うとこれは、われわれの気まぐれで、揺れ動き、不備を抱えながらよろめく二十世紀芸術の多くが、その侵犯に――全力を傾けながらも――絶えず失敗してきた観念論の領域である。
言語に至高の位置を許容することができなかった(言語はシステムであり、運動の目的はロマンティックにも、コードの直接的な転覆だった――さらにそれじたいが幻影である:コードは破壊し得ない、単に戯れること(played off)ができるだけだ)シュルレアリズムは、意味に対する期待を不意に落胆させることをたえず推奨することによって作者のイメージの脱神聖化に貢献した。
ロラン・バルト
消費という観点から見ると、記号を生産したり破壊したりすることを拒否する実践を前にして意味がたえず転覆されるならば、そして作品の公言された目的が非意味作用のシニフィアンの継起だとすれば、人が手にしうるのは、もともとのきらびやかなアーティストのふるまい――この場合には個人的な趣味の放棄――によって動かされ、そしてそこへと差し戻される、分化されていない出来事の不可解な編み目でしかない。作品はこうして観客を、またしても一人の
超越論的主体としてのアーティスト
の顕現(manifestation)をありがたがる「思慮のない(mind-less)」(官能的な?)位置に置くとともに、その顕現に関わる意味形成への参加からは、巨大で、難攻不落の、正式に評価されたマスターピースと同程度の確実さをもって除外してしまう。ジョン・ケージはいまや――そしておそらくつねにそうであったように――どの高校の音楽鑑賞授業でも安全に教えることができるようになる。彼の天才は疑いの余地がなく、その天才が生み出したものは曖昧さを超越している。
私が絵画よりも音楽を選んだのはなぜだったのだろうか。私の絵画よりも音楽について人が良いことを言っただけだからだろうか。だけど私は絶対音感をもっていない。私は音程を保つことができない。じっさい、私は音楽の才能などもっていない。最後に会ったとき、フェーベおばさんは、「お前は間違った職業に就いたわね」と言っていた。
ジョン・ケージ
(不適応者としてのアーティスト)
私はホイットニー・インディペンデント・スタディー・プログラムの学生たちに、十年前にも同じ場所に招かれて授業をしたことがあると話していた。私は講演を開始するにあたって、ビリー・ホリデーが「The way you look tonight」を歌っているレコードを演奏し、次第に高まっていく困難と恥ずかしさのなかで、くりかえしレコードのアームを持ち上げては元の位置に戻しながら、そのメロディを覚えようとしていた。だが私はそれを覚えられず、しばらくしてあきらめざるをえなかった。話がここまでさしかかったとたん、マーティー・ウィンが言った、「だから雇われたんですね!」。
4 物語をゆっくりとたたく
二年間勉強したあとでシェーンベルクが言った、「音楽を書くためには和声の感覚がないとだめだ」。そこで私は、自分には和声の感覚がないことを説明した。そうすると彼は、私がいつも障害に出会うだろう、まるで通りぬけることができない壁にぶち当たりつづけるように、と言った。そこで私は答えた、「その場合、私は自分の人生をその壁に頭をぶつけることに捧げます」。
ジョン・ケージ
私はちょうど、《Journeys from Berlin/1971(ベルリンからの旅/1971年)》において、ナラティブの暴政に対してようやく打ち勝ったことを祝おうとしていたところだった。もはやナラティブは必要なくなった、と私は自分に言い聞かせていた。あの映画の個別の部分は空間的/時間的持続において束ねられてはいない。この観点からして、ナラティブはもはや問題ではないように思われた。もし映画が分離された「話者(speakers)」を統合するために何らかの努力をしたのなら、それは別種のディスクールのレベルで行なわれたことであり、ナラティブではなく、イメージに対応して/逆らって/関連して働く発話テクストの異質な織り合わせによって駆動されたものだった。なんてわくわくするアイデアなのだろう:映画が映すと称する不完全な現実にはまったく欠落している、イメージと言語を「一貫性、統合性、完全性と完結性」をもって編成する、目に見えず、語られもしないコードを通じた映画的説話法(narrativity)の強制的で忌み嫌われた支配から自由になるなんて。
より詳細に検討したところ、しかしながら、ナラティブのある特定の側面、すなわちキャラクターが、以前の三本の映画と同じく――多くの場合、その際立った不在によって――《Journeys from Berlin/1971》においても相変わらず存在していることが明らかになった。それはじっさい70年代初期のダンスから映画への移行における決定的な要因だった。より詳細な検討に鑑みると、どうやら私はさらに長いあいだ自分の頭をナラティブにぶつけ続けるように思われる。
しかしひとたび、ヘーゲルが示唆した、法、歴史性とナラティビティのあいだにある密接な関係性に気づかされると、フィクショナルであれ事実的なものであれ、ナラティビティがどれほど頻繁に、ナラティブな語りの典型的なエージェントがそれを妨げようとする、もしくはその側に立って作用する法的システムの存在を前提としているかということに驚かされざるを得ない。
ヘイドン・ホワイト
「言語が知っているのは「人物(person)」ではなく「主体(subject)」である」とバルトは言う。ナラティビティが主として前提とするのは、ナラティブのディスクールのあらゆる契機に潜在する不可視の飛躍によって、主体が「法の権威」と同義になることだ。文学においてこの権威の位置を伝統的に占めてきたのは、「ナレーターと融合した作者」だった。メインストリームの映画では、より包括的な幻想が作家/監督の存在をもっと大きく抑圧する傾向がある。結果として、権威的なステータスはキャラクターによって独占される。この指定は――それが暗黙のうちに含む、自己完結的なナレーター、人物、ペルソナ(persona)と法的/心理学的な存在とともに――、先立つ作者性の侵入を妨害し、主体と法的システムの表象と、そのあいだの目に見えない飛躍を一気に具現化する。
ゴダールはおそらくイリュージョニスト的なナラティブに基づく映画の伝統のなかにありながら、この通常は単一である話す立場の完全性に「干渉」した最初の監督だった。彼がこのことを成し遂げたのは所与のキャラクターに、パフォーマーの立場も含めた異なる権威的立場から話させることによってだったが、それと同時にもうひとつの作者性、キャラクターになるには十分「中身が詰まって(filled in)」おらず、ナレーターになるには十分「全知」ではなく、またたとえ我々が耳にしているのが疑いの余地なく監督自身の声であるときですら、監督/作者その人の意見を口にしていると確信をもって同定することのできないコメンテーターの存在を導入すること――多くの場合はボイスオーバーで――によってだった。キャラクター、パフォーマー、コメンテーター、そして監督/作家のあいだにおけるこうした作者性の分裂に付随する緊張は、映画から何かを「得る」ために観客がつねに意識的に銘記しなければならない亀裂と矛盾を生み出す。
(ナラティブにおいて)話す者は(実生活における)書く者ではなく、書く者は在る者(who is)ではない。
ロラン・バルト
私をナラティブの方向、そして最終的には映画へと押しやったのは「人生の感情面(emotional life)」だった。私が望んだのは正確には感情を「表現」することではなく、それを模倣することでももちろんなかった。そしてはたして見分けのつく社会的コンテクストが関与するかどうかも定かではなかった。私が知っていたのは、提示の手段がほとんど言語によるということであり、そしてそれが語られるときは、誰かによって語られるということくらいだった。私がそれ以前に語られるテクストを使ったことがなかったということではない。いずれの場合にも、しかしながら、運動と発話の乖離か、もしくはダンスのプレゼンテーション特有の演じられるものとそれを演じる人との分離のどちらかが、発話がそれを口にするパフォーマーに「所属する」ものとして受け止められることを妨げていた。映画に手をつけるにあたり、私は「話されたこと(spoken)」と「話者(speaker)」とのあいだのまったく異なる関係性の領域に関わることになった。問題はそれらを束ねることよりも引き離すことに関わるだろう。
私は単に新しい媒体へと参入するだけでなく、形式化された運動と振る舞いの語彙目録のすべてを投げ捨てており、直感的に「実人生との類似性(lifelikeness)」に関してなんらかの譲歩がなされなければならないと気づいていた。ほとんどの部分で、私の喋るパフォーマーたちは通常「映画」で人もしくはキャラクターがあまりにもよく行なうようなことを行なうだろう:座る、食べる、道をあるく、自転車に乗る、何かを見る、など。初期の映画においては、彼らが踊るのであれば、私は彼らにダンサーという職業を与えることでその理由付けを施した。
はじめから私は緩く、並列的で、非ドラマチックな構築法を用いており、それは事実よりも感情においてナラティブだった。今から見ると私の第一の「使命」は、任意のいかなるショット連鎖においても、同期し、「自然化」された発話がとても長い間続くことを必要とする説話論的なコンテクスト化を避けることにあった。伝統的なナラティブ映画に対して自分が差し出している特殊な代替案の必要性を、私は一度たりとも満足なかたちで――公の場で――説明することができなかった。私は形式主義的な一般化(「それはまだやられたことがない;それは行なわれるべきこととしてある;それは別の「可能性」である」)にあたふたと近づくほど脱線し、自分の試みが社会批評として何らかの意義を持つことや、それがイリュージョニスト・シネマに対する「介入」であることなどをほとんど全否定するところまで行きかけた。さもなければ私は急に方針を変えて、「イリュージョニスト・シネマは受動的な観客を生み出す」議論を敢然と擁護したりもした。私は説話論的なキャラクターが必要とする「演技=行為(act)」と「行為化(acting out)」に対する自分の反発を支える、より的を得た議論を展開するという任務に自分が適していないと感じていた。
1980年の夏という、つい最近の時点になっても、私は「ミレニアム・フィルム・ジャーナル(millennium film journal)」で次のように語っている:
かつて私は自分の興味を引いたものはなんでも使っていた。私は形式的な併置を支配する機能的な経験則のもとに、ほとんどの素材を吸収し、編成することができた。すべては私のダンスを特徴づけていたさまざまなコラージュ戦略のもとに組み込まれ、そこにはある種の機械的なあるいは準心理学的なナラティブさえも含めることができた。
自分のやったことをまだ長年のケージ的な思考癖のもとで扱おうと努めながら――そしてここで私が言っているのは、あることを行ない、それを別のこととして記述/説明することだ――私は自分の仕事を、意味のヒエラルキー的な差異を均一化し、抑圧するためにコラージュ戦略を使ったシュビッターズからケージ、そしてラウシェンバーグにいたる、シュルレアリストの伝統の断片に接続しようとしている。別の側面では、私の作品は60年代のミニマルアートから出てきたある種の還元主義として読むことができ、事実そう読まれたこともある。そしてこれは私がダンスを作っていたときに保持していた観点でもあった。 映画のパフォーマーたちにキャラクターの持つ完全な名声と権威を授けることの拒絶は、あるレベルにおいては何年も前に、「ダンスすること」を「走ること」で置き換えたのと同じ衝動を共有しているようにもいまだ思える。映画という媒体におけるこの拒絶を、単なる昔からの物事のやり方の古びた持ち越しとは異なるものにしているのは、当初からそれが本格的な制度に対抗して持ち出され、ある特定の、的を得た異議申し立ての戦略として示されたということである。
ヨーロッパの歴史学の初期の形態である中世のアナール派について話しながら、ヘイドン・ホワイトは次のように書いている:
アナール派にとって、出来事を語る(narrate)権威を申し立てる必要はない。なぜなら異議申し立てをされている現実の顕現としての彼らのステータスに関して何の問題もなかったからだ。異議がないため、説話化(narrativize)するものはなにもない。必要なのは単にそれらが人の知るところとなるために、それらを記録することだけである。異議がないのだから、語るべき物語もないのだ。
アナール派の語りに潜在するナレーターは「主=神」であり、その至高の権威は、「物事が人の知るところとなる秩序」を変える人間の必要のすべてを包含している。ここでわれわれはジョン・ケージの物語が一周してもとの場所に戻ってきたことを知る。
ジョンの仏教的な傾向と平等主義の採用のすべて、神の不在によって残された空間で作動するように見えるヒエラルキーと結果に対する彼の反発のすべてにおいて、彼の思考は不可避的にホワイトが語る初期の歴史家たちの「異議なし」へと戻っていく。われわれは両方を手にすることはできない:欲望もなし、神もなし、というわけにはいかないのだ。欲望を持たないこと――創造行為の改善のために――とは、必然的に――神が与え賜うた――現実の現われと反目しないことと同義である。そしてそのような個人的感情に左右されないスタンスとは、ひるがえって物事が与えられた仕方を「再び語ること」の必然性を取り除いてしまう。この状況の反対とは、ケージが――正当にも――恐れた事態である:われわれは神によって与えられたのではなく、人間社会によってめちゃくちゃになってしまった現実の顕現に取り囲まれており、それには異議が申し立てられ、人間の「語ること(説話化)の権威(Narrativizing Authority)」によって、あらためて秩序化が試みられなければならない。その権威とは、それらをそのように代表することによって、あまりにも人間的な欲望の尺度に応じた統合性と一貫性を出来事に与えるものである。
もしかしたら問題が(その解決法ではなく)がはっきりしていると言うとき、私は愚かなのかもしれない:「語ること(説話化)の権威」が現在住まっている場所へと追跡し、それを徹底的に打ちのめすこと。そしてそれはいまどこに住まっているのだろうか?戦場はナラティブの重層決定の外部に位置する不確定性の穏やかな平野ではなく、また私が1973年に、スキュラの説話法(narrativity)とカリュブディスのフォーマリズムのあいだで舵をとるようなことだと考えながら書いたように、「物語の過剰な特定性とオブジェクト指向による順列の感情的な不特定性のあいだのどこか」でもない。
([エッセーにおいて]話す者は[実生活における]
アーティストであり、アーティストとは在る者(who is)なのか?)
映画において戦場は、何かの間にあるのでも外部にあるのでもない。戦場はナラティビティそれ自体、それが構築するもの/イメージと、それらを構築する手段の両方、その記号とシニフィアンの両方に渡っているのだ。
5 N.A.の巣のなかで
自らのコードを公言することへの抵抗が、ブルジョワ社会とそれに由来するマスカルチャーの特性である:両方とも記号に見えない記号を要求する。
ロラン・バルト
テクスト(そしてテクストとしての世界)に対して、「秘密」、つまり最終的な意味を与えることを拒否することで、(書くことは)反神学的な活動とでも呼べるものを解放する。それは真に革命的な活動である。なぜなら、意味を固定することの拒否とは、結局のところ、神とその実体—理性、科学、法—の拒否であるからだ。
ロラン・バルト
ダン・ワルウォースの映画《A House by the River: The Wrong Shape》 についてダグラス・ビアーと論じ合ったことから、いくつかの考えが浮かび上がった。この映画にはナラティブの不安定さ、つまり発話と発話者、行為と行為者=俳優(actor)の関係における脆弱さを指し示すいくつかのヒントがある。この不安定さはひるがえってわれわれに、発話テクストであるブルジョワ家族の歴史的な批判を、少なくとも「悪い俳優」もしくはある個別のキャラクター、この場合には17歳か18歳の学生、の口から放たれたものだという観点から一義的に、そして絶対的に判断することなく、それじたいとして耳を傾けるべきだということを教える。じっさい、キャラクター:「学生」と、状況:「レポートの発表」の認知は、われわれのテクストに影響を与える。はじめの衝動が何であれ、「単なる学生の期末レポート」だからそれを下らないものとみなしたり、注意を払わなかったりする恐れは、いくつかの要因によってただちに軽減されるだろう。この主の映画において、社会的事実のさまざまな表象は、意味という点に関してはその指示対象と等価な関係を必ずしももっていない。「教室」はそれが一貫して学校に関わるテクストの部分を描写するかぎりにおいて、シニフィエとして安定している。他方で「学生」はそうではない。
教室のショットの持続と、固定したそのフレーミングの形式性と、学生の音読の密度と持続によって、われわれのパフォーマンス「読解」は、キャラクターと「テクストを伝達するエージェント」とのあいだを行き来する。この運動の効果は、表象と言葉のテクストを両方とも不安定なバランスの下に置くことだ:キャラクター化はつねに解体し再構成される――シニフィアン=パフォーマーは交互に露出し、覆い隠される――、そして同時に、不安定なシニフィエ「学生」は同一性というよりはある種のメタファーとして波及し、話されるテクストが権威のものとは異なること、流動の状態、プロセスにあって、アーティスト/映画作家と観客/映画作家によって注意深く観察されるものであることを知らせる。観客は、知覚/認知から同一化/反発力へと移行するのではなく、いまや認知から批判的な注意へと移るのだ。
私はブレヒトを要約しているように見えるだろうか?そうであり、そうではない。私は知識/理解について語っているのではない。馬を水場まで連れて行くことはできる。だが水を飲まさせることはできない。
このテクストはシニフィアンのシニフィエに対する固定した関係、統一された主体という観念、そして特にナラティブな映画実践のコードにおける説話論的なキャラクターの統合性を問題化する必要性に取り組んできた。必要性に関わる意味作用の項目を問いただしたり、それと「戯れたり」(playing off)するこのような問題化は、意味の「非固定化」、曖昧さへの突入、そして社会的な不平等さを構成し、それを広める記号の暴露を含む。
私はまた同時に、ジョン・ケージの不確定性の観念における矛盾を分析した。重要なのは、意味を排除し抑圧しようとしたケージの努力が、バルトが言っているような意味を固定することの拒否と、いかなる仕方でも混同されないことである。ケージの意味の拒絶は放棄であり、より高い権威に対する訴えである。私にとってもっと興味深い拒絶とは、権威的な意味作用のコードに対する、そしてそのなかにおける対決である。私はバルトのようにそのような対決を革命的な活動と呼んだりはしない、少なくとも現時点においては。しかしながら、それがある一定のリスクと闘争を含むかぎりにおいて、それは重要で必要な活動である。
映画的なナラティビティの戦場について最後に一言:キャラクターが死ぬにあたって、観客の何人かが息を吹き返す=正気に戻る(come to their senses)ということは想像できないことではない。そして私は、アリストテレスを意味しているのではない。
(初出:October #17, Summer 1981, MIT Press, pp. 65–76./A Woman Who...: Essays, Interviews, Scripts. Baltimore: John Hopkins University Press, 1999, pp.85-97.に再録)