クリスティーナ・トーキング・ピクチャーズ(台本)

/Kristina Talking Pictures (1976)


イヴォンヌ・レイナー(訳:中井悠)

 

ナレーター:私には息をすることさえためらわれた。この奥底での蟹のような手探りは、ようやく終わろうとしているのだろうか。それはほとんど信じられないけど、そうであるにちがいない。この数日間その可能性を直視することをためらっていた。もし光を直視すれば、また奥底へと投げ戻されるのだと、たえず自分に言い聞かせていた。そう、聞こえたでしょう。からだがゼラチンになり、脳みそがみずからのくぐもった叫びを聞きながら、ゼラチン状の絶望に横たわるあの深みのことを私は話しているのだ。

 上から私の方へ斜めに差し込んでくる一条の明るい光は固定され、はっきりとしたままの状態にとどまっている。だから私は、予測される表面へと自分が浮上している、もしくは浮上しはじめたことを知っている。

 「あなたはまるで古風な潜水士みたいだわ」、と彼女は私によく言ったものだ。「奥底にぶつかって、跳ね返ってくるの」。今回、跳ね返りはなかった。最初から沈んでいる潜水士には跳ね返りのしようもない。

 それにも関わらず、親しみのある興奮が浮上とともに私にこみあげてくる、まるで差し迫った発見の明るさのように。

 香水を染み込ませたイメージはしぶとい異議申し立て(objections)をレトリカルに押しのける。(10秒のポーズ)私の俳優たちは、かれらの家、台所、身体、トロフィーなどといった、戦利品によって埋め尽くされた、描かれた風景のなかを怠惰な容易さをもって動き回ったりはしない。

 かれらの顔は、仮面のような美によってふくれあがっていない。かれらの行為は、精神をもたない自動機械のように疑問を抱かないまま、無感覚な暴力的享楽へと彼らを導くことはない。もしかれらが単なる駒やいじめっ子、あるいは弱虫、もしくは敵討ちや犠牲者になるのであれば、もし彼らが堕落するか退屈になるのだとすれば、それはほんの一時のことだろう。欠点は強さとともに認められ、その傍らで自己欺瞞は、軽率な行為、怠慢、違反行為や怠りの罪とともに正される。もしかれらの豊かさが内省の過剰を引き起こすのだとしたら、その同じ内省が言い逃れよりは実直な再評価、意志の麻痺よりは抗議と行動を引き起こすことも同時に言っておかなければならない。最終的に、かれらが潔白さもしくは断念の後光をまとってカメラから立ち去ることはないかもしれないが、少なくとも、彼らの高潔さ、意図の単一性と精神的な強さの具体化によって逞しくなるだろう。なぜなら結局のところ…かれらは…ある意味で…何かであるというならば…ヒーロー(主人公)以外の何ものでもないからだ。(15秒のポーズ)。さて、私のことはクリスティーナと呼んでほしい。それは私の本当の名前ではないけど、そうしておこう。パスポートにはそう記載されている。私はブダペストの近くにある小さな町で、過去数回の戦争の前に生まれた。


デーヴィッドの声:ブダペスト?


ナレーター:あれが私の伯父さんだ。まだとても若い頃の。当時はまだユダヤ人も働くことを許されていた。私は思い出す…プラハの郊外で…口論しながら…窓にこしかけ…トレーラー…私のブディングの上には早春の日光…お父さんがテーブルをたたく…私のプディングが揺れる。とつぜんかれは私の手からスプーンをたたき落とす…「食べ物で遊ぶなんて」。お母さんは泣いていた。チェコスロヴァキアの大統領はヒトラーの新しい書斎へと招き入れられた。「ようやく」とヒトラーはあとになって報告している。「神経が完全に参ってしまうまでこの老いぼれを追いつめて、かれは署名をするところだった。そうしたらそこで心臓発作を引き起こしてしまった。隣の部屋でモレル医師が彼に注射をしたが、これは効き目がありすぎた。かれは力を取り戻し過ぎ、生き返って、もはや署名をする気がなくなってしまったので、最終的に私はまたもやかれを参らせなければならなかった」。伯父さんは夜になるとある家に私を連れて行った。二つの長いテーブル…光が私の眼を痛めつける…女の人が微笑み…唇は動いたけど、音はせず…キス…伯父さん…手…恐怖。私はそれから二度と彼に会うことはなかった。

 私はしばらくのあいだライオンのショーをやることにけっこう満足していた。だけど残念ながらエマ・ゴールドマンとヴァージニア・ウォルフがサーカスに対する見込みを台無しにしてしまった。猛獣を支配すること…彼女たちが行なったことに比べてそれがいったいどれほどのことだというのだろう?…今になって思うと、マーサ・グレアムとジャン=リュック・ゴダールは、他の誰にもまして、私がサーカスを去ったことの原因だった。


(手紙の文面:クリスティーナへ…君がこの手紙を受けとるころ僕は…どこにいるかは聞かないでほしい、ひとつ急ぎの頼みがある:僕を許してほしい。愚かでひどいことをしてしまった。できるなら許してほしい。君に対してはとても暖かい感情を抱いている。僕の唯一の失敗は、友人関係を修復するのに十分なくらい、僕たちの昨今の痛みから遠ざかった地点に達していると信じてしまったことだ。本当にすまない。ラウル)


ケイトの声:タクシー!


運転手の声:どこまで?


ケイトの声:ラガーディア空港。(車が走り出す)いや、停めて。ちょっとまってて。


ケイト:もうどうでもいいや。


デーヴィッドの声:巨大な猛獣たちが舞台の上へと重々しく登場した。女、黄金のブラジャー、コースレットとサンダルを身につけたゲルマン的なアマゾンは、同時にあらゆる場所にいた。彼女の身体と顔は一瞬ごとに唐突に変化した。勝利に片手を掲げ、顔に拍手を浴している状態から、彼女は猛獣たちのあいだを気取って歩き回り、一匹には棒でフェイントをかける。今度はリングの回りに身を投げ出して次のイベントで使うための踏み台や小道具を準備している。彼女は一人きりでそこにいる。たえず動き回っている。彼らを叩き、彼らに怒鳴りつけ、近くまで突進して、動物が宙を爪で突き刺すやいなや引き下がって、気に留めることなく背を向け、別の猛獣を決められた位置へとゆっくりうながす−胴体を突きながら。ふたたび彼女は振り向いて、専制的なまなざしと細かな身振りで、反抗的な猛獣に高台へと戻るよう命令する。彼女が動物の膝に乗ったり、足の下に横たわったり、密接に触れ合ったりする際の、遊戯的な軽やかさは、瞬間的な強要の表情、もしくは本当の重量の下でのよろめきによってくりかえし裏切られる。フィナーレでの彼女の動きは鋭く、目的を持たないように見える。重々しく、しわくちゃの大きな動物たちは、躊躇し、拒否しながらも、丸め込まれて—謎めいた、おそらく口にすることができない指示によって—ジグラット塔へと最終的に登りあがる。人はなにがかれらを協力へと駆り立てるのか、不思議に思うことしかできない、


エドの声:そのような不自然な行為に。われわれは興味深くそれを見る。なぜなら純粋に人間的なデザインを作り出す動きが、猛獣たちが交尾するときの動きのほのめかしをわれわれに与えるからだ。


ナレーター:昨夜、私はとてもがんばった:風呂に入り、化粧を付け、一番いい服を着て、フィールズにディナーを食べにいった。たくさん食べたり飲み過ぎないようにして、適度に楽しい時間を過ごすことができた。じっさい、夕べのほとんどの時間はとても楽しかった。ホストとホステスは、いつもどおり、とても愛想が良かった。客をくつろがせようとするかれらの努力はうまくいっていた。


ケイト:私は演技が好きじゃない。声の調子が問題なの。どの文章も最後にピッチが上がる、まるでキャラクターたちが質問することしかできないように。


エド:それはもしかしたら言語の特質なのかもしれないね、ほら中国語みたいに。


ケイトの声:それか英語みたいに、


ケイト:イギリス人によって話される、ってこと?そうかなあ。イギリスの英語は私たちの耳にはすこし皮肉っぽく聞こえる、恣意的なくらいに。映画の外で話されるドイツ語やフランス語を聞くときはそうじゃない。でも彼の映画のなかの、あの半分即興的な調子はとても嘘くさく聞こえる。そしてそれは人が「演技をまとう」ときに起こる嘘くささとは違う。それは単に古びた説得力のない演技なだけだわ。


ブロンデル:英語を第二言語として話す人たちはどう?かれらはどう聞こえるの?


ケイトの声:つまり…外国人ってこと?


ブロンデルの声:そう。


ケイト:うーん…もしかれらが流暢に話さないんだったら、あまり自然には聞こえないわ。


ブロンデル:だめな俳優みたいに聞こえるって言いたいの?


ケイト:そのとおり!


エド:振る舞いとシアターが出会うところ。


ケイト:この前、私が冗談を言おうとしたときのことを思い出すわ。道を渡ろうとしている小さなユダヤ人のおばあさんがいるの。トラックが来て、彼女を押し倒す。トラックのドライバーは停まる。でも彼女は怪我をしていないわけ。「気をつけろよ!」って、トラックのドライバーが言うと、彼女は言うの「なぜだい?あんた戻ってくんのかい? (Vy, you coming beck?)」

 友達にイディッシュのアクセントが必要なのか聞かれたの。だから私は台詞を自分自身のイントネーションで繰り返したわ:「なぜ?あなたは戻ってくるの? (Why, are you coming back?)」。ほら、シアターはもうそこから消え失せてしまってる。それがかれの意図だったとしてもかまわない。私は聞くのをやめる。


ブロンデル:同意するわ。かれの初期の映画は…取るに足らないものや人で満ちあふれている。彼らは若すぎるか、かわいすぎるか、中流すぎるか、それとも有名すぎるか。そしてキャラクターとして、彼らはうんざりするくらい軽薄であるか、


ブロンデルの声:異様に敬虔であるかのどちらかしかない。そしてもっとあとの作品だと、まるで革命ごっこをしにフォート・ローダーデールからやってきたように見える。


ケイト:私はドリス・デイかエルビス・プレスリーがダッハウでの経験を語るところを見てみたい。イヴ・モンタンの方がまじめに受けとれるかしら。そしてイヴ・モンタンがカメラに向かって、私たちに話すことと「夜と霧」のあいだの違いって何かしら?…あるいは壁に貼られた、衰弱しきった屍体の写真だったら?


デーヴィッド:恐怖と魅力のあいだと同じように、詩と陳腐さのあいだにも薄い線がある。


ブロンデルの声:何がそんなに…詩的なの…イヴ・モンタンの。


デーヴィッド:もし僕がダッハウにいたら、あれほど多くの人たちが亡くなるあいだ生き延びようとする意志を持ち得ただろうか。この問いは、非難の矛先のように定期的に僕を突いて、自分が存在することの正当性に対する究極的な試練をほどこす…

 子どもの頃、それは別のかたちを取っていた:「もし僕が高い飛び込み台の上から飛ばないかぎり、僕のお父さんを殺すとナチスに言われたら、僕はそれをするだろうか?」


ヴァルダの声:私はアウト・ドアのカフェに座っていた。小さな男の子がやってきて、こう言われるの、「幸運だね、旅行できるなんて。僕なんかここから永遠に出ることができないよ」


ナレーターの声:彼女は自分が透明であるように感じ、後で自分の顔について考え、彼女の顔が彼女を裏切ってしまった(見捨ててしまった)ことを知った。あまりにも激しいため、最近だと彼女に知られることなく、それは怒っているようにすら見えるかもしれない。彼女はいつも家を出かける前に鏡でそれを確かめたけど、彼女の顔は、ニクソンの顔みたいに、彼女に追いつこうとしていた。自分の舌が動き回るあいだ、今日それは何を言うのだろうか?刺激の欠如がもたらす倦怠感と憂鬱の習慣的な型に合わせて顔がたるんでしまった、地下鉄に乗っている人たちのように、私の顔も今日反応することを拒絶し、眼は光り輝き、口は微笑み、あごは前と上に押し出されることを拒否するのだろうか。今日は人々のあいだでどのように楽しめばいいのかを思い出そう。関心や心配などを表明し、誠実さを伝えるために十分な程度、頻繁に話す相手の顔を見て…パニックと苦痛を寄せ付けないこと。


ブロンデル:…あの子…フエンテス一家の…あの子は暴力的な男で…


ブロンデルの声:ある日私は自分に言い聞かせた:私はいま40歳。その発見のショックから立ち直ったときにはもう50歳に達しているだろうって。そのとき私を襲った茫然自失の状態は、まだ私から立ち去っていない。私はよく驚愕して立ち止まる、顔としての役割を果たしているこの驚くべきものを目にして。自分の顔を不快にならずに見ることができていたあいだは、私がそれについて考えることなどなかった、それは自らの面倒を見ることができた。車輪の回転はいずれとまる。今では自分の見た目を嫌悪している:眼に向かって滑り落ちる眉毛、その下の袋、頬の過剰なふくよかさ、そしてしわがいつももたらす口の回りに漂う悲しみの空気…


ブロンデル:「虎があの子の書斎にいると言っている」


ケイトの声:それは何の本なの?


ブロンデル:何?


ケイトの声:何の本なの?


ブロンデル:「オランダ・ユダヤ人の絶滅」


エド:星さえも死ぬんだ。


ブロンデルの声:何?


エド:いや。老いることについて考えていただけなんだ。星、わかるだろ、惑星とか。


エドの声:自分自身の声の音に僕はうっとりする。自分自身の考えを信じることができるのはただ喋ることによってのみという時もある。言葉を発することはそれに信頼感を与える。


エド:そう、そのようなリベラリズムは疑わしいけど、そのような人が存在するとは思わない。


ブロンデル:どのような?


エド: 世界の貧困、人口過多、環境汚染や天然資源の枯渇を前に、自らの存在の本性について苦悩する繊細なインテリやアーティスト。かれは権力と富をめぐる国際企業の競争と、それに付随する無茶苦茶な嘘にうすく覆い隠された需要と供給の操作についての客観的な報告をほとんど知っている。われわれのアーティストは幾千もの良心の呵責と、受動的な傍観者になりたいという誘惑を押さえつけている意志の崩壊の危機に苛まされている。彼は行動と抗議のさまざまな形態を熟考する。たとえば投票したり、手紙を書いたり、会議、委員会、請願書、そして時には暴力さえも…言い方を変えると、彼は懸念するリベラルの典型ってわけだ。でも女に関することであれば、彼が考えることができるのは、その胸と尻のことだけなんだ。


ケイト:私はそのような人は、野良猫に餌をあげながら、ニクソンに投票したような人よりはじっさいにあり得ると思うけど。


ブロンデルの声:召集令状を焼いて、ホームレスにホールから出て行けと言ったの?


エドの声:はは!アムネスティ・インターナショナルに貢献しながら、通りの叫び声を無視するのか?


ナレーター:リサイクル・センターに新聞紙と瓶を持っていった日に、癌にかかっていることを告げられたの?毛沢東を信じながら、犬に綱を付けることを拒否するの?


ヴァルダ:私は言った、「重要なことはすべてブラックホールのなかへと消えてゆく」


リルの声:空は屋根の上で、とても青く、とても静か。


ブロンデルの声:もちろんピランデルロはナイーブだった。けどエルサ・トリオレットは…わからない…たぶんマヤコフスキーに愛されたということで、あなたは思うかもしれない…彼女は…ああ、わからない。


エドの声:君はおもしろいね。


リルの声:石が地に落ちるのは、それに対する愛ゆえのことだ。


ナレーター:アメリカ自由人権協会にチェックを送ったあとで、自分の夫に男の愛人がいることを発見したの?政治犯に対する拷問に愕然として、自分の妻の成功に嫉妬しているの?ワシントンで行進をして、友達に泣かされるまでいじめられたの?戦争に反対するために税金を払うのをやめて、娘にせがまれると歌って踊るの?


サラ:「もし私があなたの娘じゃなくても、私のこと好きでいてくれる?」


ヴァルダ:さあ、もうそんなことは忘れて、映画を見に行きましょう。


「ラウルの帰還」


ラウル:それはなに?


クリスティーナ:銀の弾丸の穴よ。


ラウル:銀の弾丸があるべき場所じゃない。


クリスティーナ:それはなに?


ラウル:これは…短剣。


クリスティーナの声:違うわ、それは…


ラウル:なに?


クリスティーナ:それは…鼻よ。


ラウルの声:そしてこれは?


クリスティーナ:唇…これは?


ラウル:日食…そしてこれは?


クリスティーナ:経過


ラウル:なんだって?


クリスティーナ:時の経過。どうだったの?


ラウルの声:ほぼ一年間、VLCC(very large crude carrier)のエンジニアをしていた。その船は四分の一マイルの長さで、フットボール場と同じくらい広かった。そこにいた期間中で、陸に足を付けたのはたぶん三回くらいしかない。ロッテルダムで二回、ボルドーの近くで一回、それからケープタウンで、船が壊れて、港まで曳航されなければならなかったときに一回。あれはひどかった。いつもは岸から10マイルくらい離れたところに、タンクを積み上げるか降ろすのに必要な時間だけ停泊していたから、岸に行くなんて問題外だった。闇夜にブリッジやデッキから離れて、あの黒い広がりへと歩き出すと、海の存在すら感じられないんだ。船の全長を横切っていた鋼製の通路は、見渡せるかぎり続いていて、さらに眼が届かないその先まで延びていた。乾燥した鉄の面が見えないまま、全面に広がっているのを感じるんだけど、その印象は脅威的なものだった:海それじたいの空虚さに押し付けられた、定義できない目的を担った機械的な砂漠。それは風の信号で埋め尽くされていたけど、マストやリギングのものではなく、見捨てられた平面上の構造のものだった。海自体は、遠くはなれて見えない両端のデッキの、ずっと下のあたりに横たわっていて、唇までたどりつく塩辛さは鋼鉄の味がした…一回計算してみたんだけど、船の全長を横断するには、時速60マイルで走る車でも12秒かかるんだ。

 …250,000トンの船だった。

 日本人はいま1,000,000トンの船を計画している。これらのリヴァイアサンのデザインを決定する主な要因は経済なんだ。二つか三つのプロペラの代わりに一つしかない。二つのボイラーの代わりに一つしかない。もしその唯一のボイラーが壊れはじめたら、船は絶望的な状態に陥る。蒸気なしではエンジンは回らないし、すべての電力も停まってしまう。蒸気が減っていくにつれて、プロペラは回るのをやめ、電気は落ちて、レーダー、反響測定器やその他の近代的な航行器具のすべてが停止してしまう。防火用品、積荷の操作、デッキの機械類、そして航行を決定し、衝突を回避し、賃金を計算し、病気を診断するあれらのすばらしい、新しいコンピューターも一切合切。すべて停まってしまう。すべて明滅し、点滅し、死んでしまう。残されるのは、漂流する、役立たずのハコだけだ。動力なしで、それは絶望的に漂うばかりで、他の船に曳航してもらうのを待つか、どこかの海岸の近くだったら、廃船は風と潮流によって岸へと導かれ、座礁し、壊れて、海岸を汚染してしまうのがおちだ。ああいう船は長持ちするように作られていないんだ。古い旅客船は最長で40年間持っていた。タンカーだったら5年が中年で、10年だともう老衰期に近づいている。そのあともタンカーを走らせるというのは、故障と、ほとんど存在しない安全の境界線との絶え間ない闘いの悪夢を意味する…コリオリの力、というのが何であるか知ってる?

 …タンカー船団において船がどう影響されるかは完全には分かっていないけど、前とは異なった仕方で航海しなければならないし、危機的状況においては純粋に直感的にならなければいけない。


クリスティーナ:そう。…行ってしまったの?何がそんなにひどかったの?


ラウル:ちょうど同じときにパーティーを去ろうとしたんだ。彼女はそんな遅い時間に通りにいることが怖いといって、タクシーが来るまで待っててほしいと言った。ぼくは拒否して、歩き去った。君のことを考えていたんだ。

 僕たちはカリブ海の島にいた。打ち捨てられ、半分取り壊された工場を調査するために止まったんだ。上を見上げて、コウモリたちが梁で寝ているのを見つけた。僕は凶暴であるかもしれない動物がものすごく怖い。彼女ははじめ僕がいないことに気づかず、なかに残っていた。ようやく僕を捜しに外に出てきた。僕が説明したら、彼女は僕をとがめるような眼で見た。


クリスティーナ:彼女は妊娠していて、中絶医を見つけた。そして私に必要なお金を貸してくれるか聞いたの。私は貸すと言った。そのころ、私は自分の精神科医とつらい記憶をたどっているところだった。自分が養子であること、本当の母親をめぐる幼いときの幻想、彼女に望まれていなかったことやその類いのことすべてね。そのような状況にあって、私はたとえ親しい友達であっても、中絶のためにお金を誰かに善意で貸すということはできないと感じたの。だから私は彼女にお金を他から工面してくれないかと頼んだ。彼女はもしそのように私が感じているのなら仕方ないと言った。私は不合理で、不誠実だと言われた。私たちは疎遠になった。

 私のお兄ちゃんのお尻を叩かせるために、かれらは私たち15人全員を列に並ばせた。お兄ちゃんはリットンさんの膝にパジャマのズボンを降ろして横になっていた。かれは通常の儀礼的な罰を受けることになった。自分の番になったとき、私は拒否しなかった。他のみんなと同じようにかれのお尻を叩いた。

 私が18歳だったとき、クレイ・ストリートの下宿屋の三階にしばらく住んでいた。そこにはキッチンがあった。

 でもホールの向かい側のスウェーデン人の女の子と、私のキッチンの隣にある二部屋を持っていた50台の夫婦と風呂を共有していた。私をかれらから分け隔てていたものは、ただ薄いさねはぎ版の仕切りだけだった。夜になって旦那が帰宅するとかれらの会話が聞こえた。

 ある晩、トイレに行くために外に出た。トイレのドアは鍵がかかっていた。自分の部屋に戻る途中に、スウェーデン人の子の部屋の開いていたドアをちらりと覗くと、ベッドに座っている彼女のボーイフレンドが見えた。一分も経たないうちに、ホールの向かい側の奥さんが自分のうちを出てトイレに向かった。まだドアは閉まっていて、どうやら彼女は私がいましがた見たのと同じボーイフレンドの姿を目にしたようだった。彼女はたったいま目撃したことを金切り声でまくしたてながら、すごい勢いで、大急ぎで旦那のところに戻って行く。かれらは二人で、閉じた私のドアの前を通って飛び出して行く。旦那が管理人を呼ぶために下に降りる一方で、奥さんの方は若い子に向かって彼女のふしだらな行為を叱責する。その子は自分を弁護しようとできるかぎり勇ましく反論する。「あなたと関係ないでしょ」、そして「誰にも迷惑をかけていないわ」などなど。その時点で旦那の方は、私がとても好きだった60歳の親切なおばあさんの管理人を引き連れて戻ってきている。正義が行なわれるべきだと訴え続けるやかましい夫婦に、このおばあさんがかなうはずもない。

 私はいまほとんど何も聞こえていない:怒りと恐れと迷いであまりにも凍りついてしまい、混乱した悪夢のようで、ドアの外には不快な音がしていた。やかましい女の声が漏れてきて、「彼女だったらそんなことをするはずがないわ」と聞こえたときでさえも、それが従うべき合図であるかのように、ドアを破いて「それは嘘だわ;私はいつもここに男を連れてきてる!」なんて叫ぶ気にはなれなかった。そうじゃなくて、私は動けなかったの。恐ろしい二人組はボーイフレンドが去るまでそこに居続けた。私は、自分が耳にしたことに愕然とし、自分の無気力さにぞっとしながら、ただじっとしていた。


ラウル:君はまだ18歳だったんだ。それが君の人生で最高のときだったなんて誰も言えないよ。


ラウルの声:黒い雨が降った。漏出、流出、投棄、沈没、座礁、爆発、海上の炎、火災の嵐、ハリケーン風、油性の霞、黒い雨。プランクトンは世界中の酸素の三分の一を作り出す。水に油、海の肌に油、プランクトンに油、君の乳首に油、君のヴァギナに油、僕のペニスに油、ペンギンに油。プランクトンがいなくなったら、僕たちの快楽も同じ道を辿るだろう。


紙に書かれた言葉:なぜカタストロフの見通しは、詩によってかくも容易く和らげられてしまうのだろう?


デーヴィッドの声:(中国語で旅行について喋っている)


デーヴィッド:プロテインが現在、油から抽出されているって言うことを忘れないようにしないと。


黄色い紙に書かれた言葉:かれらはまるで自らの言葉の力が行動もしくは赦免への道を切り開くかのように自分たちの話を復唱した。自らを救済するためのあらゆる可能性を超えて、長きにわたって関与してしまったこと—かれらはそのことに思い至らなかった。外的な出来事の世界をかれらは、自らを条件づける要因ではなく、依然として自らの努力と発展のための原材料のソースとみなしていた。かれらは自分たちのことを、すぐに身を引いたり超越することができる完全に独立したエージェントであると想像していた。かれらは哀れみと情熱的な抗議に関する細やかに調整された能力を持っていた。けれども、公言された恐怖にも関わらず、自身の核においては中立のままであり、無縁のままだと相変わらず感じていた。


ラウル:…快適で、豪華でさえある場所だった。スイミング・プール、映画館。上映作品は週に二度変えられた。士官室には長くて黒い革張りのソファと肘掛け椅子。頼めばすぐに8年物のグレンフィディック・ウィスキーを出してくれるバーテンダー。充実した図書館:フィッツジェラルド、ドストエフスキー、ジェームズ、サルトル、グレアム・グリーン、コンラッド、ドス・パソス、ジャクリーン・スーザン。ダートボード、短波ラジオ、テープ・レコーダー、レコード・プレイヤー、テレビ、ビデオ・デッキ。おいしい食べ物、しかもたくさん。ときたま、夜になって、男たちがたがいに無関心になるかうんざりしてくると、彼らが乗り込んでいる船の隔絶が意識されて、あの部屋に空虚感が漂うこともあった。

 それは、孤島の一端にある塀で囲まれた共同体のなかにいるような感覚だった。島の反対側の岸にはわずかの者しか訪れようとせず、その存在をほとんど知らない者もいるような感じだ。ときおりそのことについて不思議に思わずにはいられなくなった…最悪なのは空になったタンクを洗い、腐食を点検するため船の下に降りるときだった。


クリスティーナの声:彼女たちの寿命は18年くらいで、オスよりもかなり長生きする。オスにとっての方が生存の条件は厳しい。盛期をいったん過ぎたオスのライオンは、通常は競争心の強いもっと若いオスによって、群れを追われてしまう。そうするとライオンは、連携で行なう狩りの利点を失ったまま、一匹だけでなんとか生き延びなければならない。メスのライオンは、三週間から三ヶ月にいたるまでのさまざまな間隔で、そのつど数日間にわたる発情期に入る。この時期のあいだ彼女は、同じオスと15分おきくらいに交尾する。ほとんどの場合、一番はじめに出くわしたオスが相手となる。そのオスは自らの存在によって他のオスを寄せつけないようにする。ときどき、複数のメスが同時に発情期に入ったとき、オスは一匹以上の相手と交尾することもある。

 奇妙なことだが、ほとんどの交尾期は子ライオンの出産には至らない。このことが、排卵の問題なのか、受精なのか、それともメスの流産によるものなのかは知られていない。妊娠期間は14もしくは15週間である。一度に二、三匹ずつ生まれてくる子ライオンたちは、出産時にはまだとても小さい。通常だとその前の出産時に生まれた子たちが20から30週目に入る頃に、次の子たちが生まれてくる。同じ群れにいるメスたちの出産は同時期に起こる。もうひとつ変わった点は、新しいオスたちが群れを乗っ取った直後だと、6ヶ月の間は新しい出産が起こらないということだ。メスライオンたちは妊娠するには緊張しすぎているのだろうか?あるいは、もしかすると新しいオスライオンたちの存在は、かれらがやってきたときに妊娠中だったメスたちの流産を引き起こすのかもしれない。二歳になるまで子ライオンたちは親に頼って、食料を与えてもらっている。しかしながらその年齢に達するのは生まれた子のうち20%だけだ。死亡率の高さはいくつかの原因に帰することができる。食料が少ないときに餓死するものもいるし、年長の子がより幼く、弱いものから肉を奪うこともある。そして多くの場合、かれらはハイエナか、群れを乗っ取った新しい大人のオスによって殺される。


紙に書かれた文字:勃起もしくはヴァギナに挿入されるペニスの写真


三歳になると、かれらは生まれた群れを小グループ単位で去っていく。二年間の放浪生活の末に、かれらは乗っ取ることのできる群れをやがて見つける。


棚のサイン:ああ神様、私はこのためにすべてをなげうった


各群れはおよそ直径3マイルのテリトリーを持っている。


ラウル:船の90フィート下、最深部における窒息と爆発の危険。ぼくはいつも、すばらしい帆船との異様な対比を思い起こさせられた。帆船の乗組員は空高く上昇していった、天気が良いときは高揚感を、悪いときは自然の闘いに対する熾烈な感覚をたずさえて。他方でタンクへと下降して行くことは、視覚的に重要なすべてのものからわれわれを切断した。それはブラックホールに飲み込まれるような感じだった。


ラウルの声:僕は戦争から帰ってきた。

僕は大きな肘掛け椅子に座る。

かれらは夕食を食べにやってくる。

かれらはマルクス・ブラザーズについて話した。

僕たちはミートローフを食べた。

僕は彼女の指輪を見つめる。


クリスティーナの声:かれはなぜ私にとってかれを見ることがつらいのか不思議に思っている。


ラウルの声:ポールはRed Alert(非常警報)の裏にあった本当の理由を明かすというキッシンジャーの約束がなぜ守られなかったのかと疑問を口にする。


ラウルの声:さっき僕たちはネズミたちについて笑った。「もし残り物をネズミの穴にいれたら、ネズミは出てこない」。


クリスティーナの声:かれはサハラにいるノネズミについて考える。


ラウルの声:ぼくたちは近所のバーに出かけた。クリスティーナは家に残った。


クリスティーナの声:かれは私を腕のなかに抱きしめることを妄想する。


ラウルの声:けんかが始まる。図体の大きい巨大なバーテンダーが酩酊した客を痛めつける。


クリスティーナの声:かれはなぜか、雪に残された足跡を思い出した。


ラウルの声:数年前のある夜についての思い出話をポールと語っている自分に気づく。


クリスティーナの声:それは耐え難い夜だった。かれはそのことについて話したがらないが、ポールはずっと行方不明だった愛のようにそれを生き返らせてしまった。もしかしたらいまになるとそれはおかしく、あるいはひょうきんに思えるのかもしれない。


ラウルの声:ポールは言う、「ラウル、お前は愚かなことをしてるよ」。


クリスティーナの声:かれはSSがハンマーでたたく音を聞く。

かれらは私の窓に向かって叫ぶ。

上がってくるときかれらは異常なほど落ち着いている。

私たちはとりとめのない会話をする。


ラウルの声:ぼくはバーから彼女に電話をかけた。


クリスティーナの声:かれは私が疲れているような声をしていることに気づく。


ラウルの声:ぼくたちはさよならと言って、次の日に会うことにする。


クリスティーナの声:私たちは夕食を一緒に食べる。

彼は私を見る、まるで


ラウルの声:ぼくたちは夕食を一緒に食べた。ぼくは彼女の娘の事故の知らせについては彼女に一度も言わなかった。


クリスティーナの声:かれは私に愛していると言うために、ちょうど良いタイミングを見計らっている。


ラウル:…ぼくたちが座っているとき…そのような降下の前夜、

ぼくたちが豪勢な士官室に座り、

一杯になったグラスを飲みながら、ふさぎ込んでいるとき、

ときおり鋭い脱臼の感覚とともに、

船員の生活がいかに変わったのかということにはたと気づいたものだ。

この雰囲気のなかで、

物質的な達成と特権の雰囲気のなかで、

ぼくたちは否定した、

根強く残る本能の安らぎさえも否定した

不安のたねを罵るという本能さえも。


 喜望峰経由でペルシャ湾からヨーロッパまで行くと、四つの季節変化を通過するー北方の夏から熱帯、喜望峰では冬、そして熱帯に戻り、それから夏に入る。南大西洋はまったく独自の性格を持っている。それは悪意のある海ではないけど、なにひとつ見た目どおりではない海なんだ。そのあまのじゃくな性質は、まず海面の見かけ倒しの穏やかさからはじまる。静穏さは、その下で速やかに、そして水面に達することなく渦巻く巨大な波のうねりの背に乗っかっているんだ。これはケープ・ローラー(岬の大波)として知られ、南極の海からの長距離にわたる移動によって勢いと大きさを蓄えている。南大西洋は暑い太陽に照らされた冷たい海で、そのことによってあまのじゃくな性質と豊富さはますます際立たせられる:熱帯にも関わらず寒冷海域の生物が生きることが可能なんだ。くじら、アホウドリ、アザラシ、セイウチ、ペンギン。

 それはメルヴィルが「すべての波が銀の渦巻きのようにうねっていた」と語った海だ。


クリスティーナ:「それはとても…」「…美しいわ」


ラウル:南大西洋を南下している最中に僕たちが押しのけていた冷たい風は、喜望峰の角を曲がってからは背後のものとなって、一気に暖かくなり、北へと進むにつれて刻々と快適になっていった。とはいえ、それはまだ強い風だった、ぼくたちは感じなかったけど。ぼくたちはその音の背後にいて、波頭にそって走り、船全体は後続する風のあの奇妙な静けさと平穏さに包まれていた。波はデッキに達するほど高く、その波頭は絹を引き裂いたような柔らかな音を立てていた。


ナレーター:私の娘が死んだあと、もうラウルには二度と会いたくなかった。完全におしまいだった。奇妙なことに私の決定は膨大な夢を解き放ったみたいだった。私の眠りはおびただしい量のキャラクターと風景によってかき混ぜられはじめた。人生における夢の欠落こそが私に与えられた罰であるというそれまでの確信を否定しながら。


サラ:私は海の近くの森にあったコミューンでたくさんの人たちと一緒に住んでいた。ラクウェル・ウェルチ、ホリス・フランプトン、レオン・ゴラブに似た人たち、それから私の知り合いか、何らかのかたちで身近な人たちがそこにはいた。1日中、私は浜辺から崖、そしてたくさんの部屋を機嫌良く行ったり来たりし、人を訪ねて、話をした。一日が過ぎるにつれて、次第にみんながどんどんと興奮してきていることに気づかされるようになった。

 かれらはヒョウが現われるのを待っていた。誰かが私に言った、「知ってるかい、インディアンたちはヒョウがいるせいでこの場所に来なかったんだ」。私は自分が怖がっているのか、わくわくしているのか分からなかった。猛獣はついに現われた。誰かが素早く動かないかぎり、その動物はほとんどおとなしそうに見えた。それからかれは神経をとがらせて、吠えた。私はずっと、かれはもう夕食を食べたのかなって考えていた。あやうくヒョウが自分のすぐ近くを通り過ぎるまでじっとしているところだったが、直前で怖じ気づいて、すでに臆病者たちによって埋め尽くされた部屋へと逃げこんだ。グループの他の人たちはかれの後に付いていった、多勢であることに安心を覚えながら。


ナレーター:多くの夢とは違って、この夢は私のもとを離れなかった。それを頭から追い出すことができなかった。残念なことに、それはこの夢の活動期から私が得ていた快楽の終わりを予兆するものだった。ついに私は会いに行って…彼女にそのことを教えた。


ヴァルダ:男によってだまされた女のあいだには、そのことを識別する何かしらのネットワークがあると思う?


ケイトの声:彼女は私について話している、そして…私はそれを認めない。


ケイト:私だったらそれをだまされたとは正確には言わないわ。


ケイトの声:結局、認めてしまった。くそ!

cunt!


ヴァルダ:彼女は自分の問題が唯一のものであるかのように話し、やってきては思いをぶちまけ、それから去って、ものすごい重荷をこっちに残していくの、そしてもちろんこっちの困難については何一つ知りたがろうとはしない。


ケイトの声:彼女、体重が増えた。


ケイト:最後に彼女を見た?


ヴァルダ:いいえ、私は出かけてた。実は最後に彼女に会ったのがいつなのかもう思い出せないの、それでいらいらしているんだけど。でもそれはあのときが本当に最後で、もう二度と互いに会わないだろうということを私が認めていなかったからよ。


ケイトの声:手紙は書いた?


ヴァルダ:絵はがきを何枚か。


ケイトの声:何を…ラウルはしてるの?


ヴァルダ:ああ、かれは一緒に行くわ…まだ若いからこういうことから本当に跳ね返ってくることができるのね。もちろん、細かい事情までは知らないけど、たぶんうまくやってると思う。


ケイトの声:へえ!それは楽だったわね。


「キャグニーの」声:そう、私は彼女が無視されてもかまわなかったことが奇妙に思えたんだ。彼女はいつも言ってた、「私は二番や三番や四番になるのはいやなの…もし注目されるのだったら一番がいいわ」


ケイトの声:彼女が強かったとみんな思っていること知っているでしょ。


ケイト:でも彼女はぜんぜん強くなかった。


「キャグニーの」声:まあ、彼女は仕事をしつづけたよ。


ケイト:そしてそれはいつも尊敬されることだわ。


「キャグニー」の声:そう、私はcuntという言葉をかれらがここまで高めたなんて気づかなかった。


ケイト:私なら高めるとは正確に呼ばないけど。


「キャグニーの声」:わかった、もしかすると「隔絶する」がもっと的確な言葉かもしれない。かれらはそれを、女性が独占的に関わりあい、表現すべきものとして隔絶した。


リルの声:瓶が世界を漂流してまわるのには4年かかる。


「キャグニーの」声:たぶんそのようなものに対する必要性があるんだろう。それは頭にやるべきことを与える。


リルの声:そして奇妙なことは、私が男性と性交渉をもちはじめて、本当に妊娠しうるようになる以前から、すでにキスだけで妊娠するかもしれないと恐れていたことだ。


ヴァルダ:かれはここにいないわ。


リルの声:まずはじめに、生理の三日か四日前になると頭痛の気配がしてきて、あまり気分がすぐれなくなる。それから出血しはじめ、それから、はじめは少なく、それからたくさん、それからもっと激しく、激しく、激しくなっていく。そしてそれから最後には滴って、ピンク色になり、そしてそれから…一ヶ月から8日が失われる。


ケイトの声:なに?


リルの声:それから8日くらいは正常な気分でいられる日が続いて、そしてそれから早くもまたもや繰り返しが…


デーヴィッドの声:僕たちのこと聞こえるのかな?


リルの声:じっさい正常になんて本当はなれない。なぜなら性交渉をもちはじめた瞬間から…


ケイト:というわけで、かれらは昼食のために集まっている。the Kid(子ども)は新聞を読んでいる。リマはとても静か。ニーノは朝見つけたかたつむりについて喋りつづけていて、ルイスは上機嫌。コーヒーを飲み終えてから、ルイスがいつもの質問をする。「虎はいまどこにいる?」イザベルはテーブルから飛び上がって言う、「いまドン・ロベルトに聞きにいくわ」。前にも聞いたことがあるんだけど。そして立ち去ってから数分後に彼女は戻ってきて言う、「虎はいま子どもの図書室にいる」。


リルの声:自分で分かっているのか、分かっていないのか。ああ神様、もし何かが起こったのだとしたら、なんて混乱だろう!何かが起こったら、私はどうしたらいいのだろう?だから、私はいつも恐れており、その恐れが終わるのはただ…


ケイト:虎はいま子どもの図書室にいて、そして当然のことながら子どもはとても腹を立てる。かれはぶつぶつ文句を言ってまわる。そのあいだみんなはもうすこしかたつむりを眺めて、リマは砂糖を取りにいく。イザベルが後に付いていく、楽しくおしゃべりしながら。とてもすてきな家族のシーンだわ。ルイスはタバコがほしいと言い、イザベルはニーノにそれをとりにルイスの部屋までかけっこをしようと言う。戻ってくるとき、彼女たちはあやうく子どもにぶつかりそうになる。子どもは新聞を読みに応接間へと向かう途中で、それはかれの図書室には虎がいるからだった。そしてイザベルは帰って、またみんな集まってかたつむりを眺める。イザベルはかたつむりに夢中なあまり、子どもの叫び声をはじめに聞き逃してしまう。だけどもちろんその他のみんなはそれを聞いて反応する。犬は吠え、ドン・ロベルトが入ってくる。そしてルイスがくりかえしくりかえし言いつづける、「だけど彼女は虎が子どもの部屋にいると言ったんだ、彼女は虎が子どもの部屋にいると言ったんだ」。そしてイザベルはリマにしがみつく。


ナレーター:次の三週間のあいだ、私たちはとくにがんばって働いた。彼女の情熱が感染したようだった。彼女はステップの練習と、動きのニュアンスの遂行が自らの構想したものと正確にかみ合って満足するまで、コレオグラフィーの断片を何度も何度もくりかえすために、いつも一時間早く到着していた。私は批判もコメントもしなかった。このように自分の目の前で、私がもともと抱いた幼稚な観念を、毎日形作り、変形させていく彼女の情熱的な関与の仕方にどうして干渉できよう。他の人ははじめ無関心に座り、指示を待つだけだった。その後、共にいるこの強烈な存在から放射される炎に引火したように、かれらが彼女の動き—タイミング、ジェスチャー、頭の回転などの微調整—をもっと注意深く観察するようになると、かれら自身が—そして私もー自らの内にあるとは夢にも思っていなかった想像とエネルギーの資源を活用しはじめたのだ。こうして明るみに出たかれらの知性からの挑戦を引き受け、それに立ち向かうために、私がよりいっそうの精度で集中してとりくんだ構成は、じきにみんなの共通の関心と目的の土俵入りを果たした。制作は光速で進んだ。私はたまにすこし離れたところから眺めながら、この共同活動の模範例に驚嘆することもあった。それをはじめに私が一人でけしかけたということは重要ではなかった。私たちは、共通の信念に基づく共同体という理想的な意味において原始的であると同時に、ユートピア的でもある社会的相互作用のパターンに関与している自分たちの姿に気づいたのだ。

 そこに最初に亀裂を入れたのはラウルだった。他のみんなは日々の課題に熱心で、嬉々として没入していたあまり、いまから見るとかれの不満のあからさまな証拠であったと思われることに私もはじめはあまり気を留めなかった。一貫性を欠いたかれの行動を私はどちらかと言えば、疲れ、もしくは引きかけの風邪のせいにした—実際かれ自身がみずからの奇行を初期の段階においてそのように説明していた。かれは次第にどこか不機嫌な表情を浮かべながら、サイドラインに座り込むことが多くなっていった。ときにはかれがいなくてもいいセクションを練習している最中に、完全にいなくなってしまうこともあった。このことは別に変なことだと思われなかったかもしれないが、そのときまでに、直接関わっていない人もみんな積極的に提案や意見を言うという慣例がすでに定着していたのだった。

 その後かれは遅刻するようになった。ついにリハーサルを欠席し…そして連絡もしてこなかった。そのときになると何かがうまくいっていないことが私にもわかっていた。もちろん私はかれと電話で連絡をとろうとして、何度も試みたあげくようやく話すことができた。かれはひどく無口で、直接問いかけられるとあからさまな言い逃れをした。私はかれの突然の落胆を説明するはっきりとした理由を何も見つけることができなかった。かれはただ、もう制作を続けることができないことを認めるだけだった。これは私の知っていたラウルではまったくなかった。私は途方に暮れた。私がどれほどおだてたり、質問しても、説得することはできなかった。かれは頑なままだった。私はついに怒って義務や責任などといった言葉を持ち出したが、何の役にも立たなかった。

 私たちはみんなかれのことを心配していたが、かれが来なくなった最初の日以降、あたかも暗黙の合意が交わされたかのように、誰もラウルの不在について触れようとしなかった。かれが海外に行ってしまったことを誰かが知らせたときでさえ、それについての感想はほとんど聞かれなかった。集中力のささやかな途切れが感じられるようになった…制作は続いた。


ナレーター:私は一つ以上の仕方で馬鹿なまねをしている。自分自身をもっと大切にしないと。もっとしつけを。一人でいると、私を頼る人が誰もいないと、お父さんが言っていた「抵抗の一番少ない線を辿ってしまう」という意味で自分が緩くなっていく可能性につねに苛まされる。

私はボーヴォワールの言う、不幸な子ども時代の恐ろしい予後なんかに屈服したりしない:「運が良くなければ」。断続的な途切れにも関わらず、スタミナと意志を持たなければ。まずはスタミナを保持すれば、意志はついてくるだろう。


ナレーター:マックス、あなたが死んだと聞いたわ。公園で、流れ者の死。どんな運命のいたずらがあなたをそのようなゴミくずのような終着点に導いたのかしら?結局のところ、あなたはすばらしいものに対する私のはじめての窓口だった:システィナのエホバとアダムの複製、アンドレ・ジッド、高いニュルンベルク支局、あのときと匹敵するものはいまだにないクリスマスのトムとジェリーたち、中国の敷物、新鮮なニシン、パージファル、価値論について語っていた上品な若い男、男らしい詩人たちに捨てられ、あなたの肩で涙を流し、あなたの応接間を美しく飾った妻たち。あなたの長細いフラットで行なわれたパーティーは、感受性の強い私の想像力を氾濫させた、単一で、終わりのない道をたどる金メッキの貨物列車のように。ある晩、あなたはコクトーのオルフェオについて詳細に説明した。私は自分の番がいずれ来るのを知りながら、辛抱強く待った。ついにあなたは一息ついて聞いた、「見たことあるかい?」。「四回」と私は言った。それに対してあなたはゲルマン的なライオンの笑いで応えた。後になってあなたは私について言うことになる、「彼女はただ痛い目に会う必要があるのさ」。新世界の思春期が抱える精神的な病に対するあなたの旧世界の売薬。でもあなたはじっさい私にすばらしいものを教えてくれた。そして、それにも関わらず、ゴミくずのような終着点にたどり着いた。


リルの声:私はマーロン・ブランドと寝た夢を見たよ。

彼は言った、「なぜ歯を磨かないんだ?お前の息はライオンのようだ、しかもすべてはもう終わってしまった、日々も通りを行き交う人々も」。


ナレーター:ママ、あなたが昨夜死んだと聞いた。寝ながらの死で、あなたの息子から聞いたところ、まるであなたの眠りをあなたの目覚めからまだ区別できるようだったって。かれが言わんとする意味が私にはわかった。かれはそれが平穏だったことを言いたかったのよ。まるで長いあいだ劣化したあなたの脳がすでに平穏さの公正な分け前を得ていなかったかのように。最大の分け前(lion’s share)ね、本当のことを言うと。いまあなたは最後の眠りにつく、まるですでに幾千もの無痛の死を死んでこなかったように。可哀想な女性、あなたは私に数えるのをやめるよう頼むことがついにできなかった。完全なる善意を込めてではないけれど、最終的な平穏と安息を祈っているわ。でもなぜこの忌々しい数えることをやめられないのだろう?


ナレーター:これ…


ブロンデル:ちょっとほしい?


ナレーター:…はボート…バラック…バリケード

いまいましい恥…

プロクルステスのベッド…ロゼッタ・ストーン…

ためいきの橋、浮き世…

防壁…

封鎖...

氷山の一角

出来事の連鎖

傷づけられた礁、バーの乱闘、愉快な事…

あらゆる人の恩恵に浴し…私たちには止まる義務がある…

終わりのはじまり


黒板の文字:思い出はかすかにそして冷たくやってきた、それは私が語ったかもしれない物語のもので、終わるための勇気も続けるための力もないという意味で、それは私の人生にも似た物語だった。(ベケットの「The End」からの一節)


ナレーター:私にとってそれは、1945年7月にサンタモニカの本屋でたまたま見つけたベルゲン・ベルゼンとダッハウの写真だった。


ヴァルダ:親愛なるクリスティーナ:もしかしたらタイプライターを使って、もっと客観的な態度を保った方がいいのかもしれないけど、できればそうしないでおきたい、少なくとも今は、この手紙では、私が経験したことを把握することが未だにできないでいる私の記憶のためには、あと数日、数週間のうちは。それよりこの精神のない現在の平野を歩き回ること、あなたのことを考えるときに身体が震えるのを感じること、そしてあなたを見て以来、私の記憶において捲られた無数の黒いページの幻想を見ている間に私の眼を離れていく純粋な一筋の光に固執していたい。

 それはあたかも自分自身の精神の源と、もし怒りと恐れによって混乱し、茫然自失になっていなかったら精神がどのように働いていたかを目の当たりにしたようなものだった。私の記憶のなかにある廃墟の草原のうえを飛ぶことができ、そのすべてが生き生きとして、連続的で意味をなしているように感じる。こうしたことすべてはあなたに会ってからのことだった。

 あなたにラブレターを書くことをしつこく主張するなんて、無力さの子どもっぽい表現に思われるかもしれない。しかもそれは私がこれまで生きてきて、いまだにそのなかにいて、本当の見通しなんてなにもないのに—もちろんそんなこと知ってるわ、怖がらないで―、あなたと過ごしてからというもの、何があっても続けていきたくなった、名もなき激烈さに対処する唯一のやり方だと思うからだなんて。私もあなたの言う「社会機構への再統合の開始を感じられる」よう、すべてを解決して、みずからの振る舞いについて自分自身に分析的な説明を与えるまで数日かかった。あなたはなんてすてきに言い表したのだろう、まだあなたと呼吸したがっている私の喉を切り裂いたその言葉を。私にはあなたが知っていたと思う理由があるから…アナ?


アナ:説明よ。


ヴァルダ:その説明を、私が取り乱した自分の投影と取っ組み合っていた時点ですでに知ってたという。だから私の洞察の詳細な報告をあなたに言うのはやめるわ。あなたがそうであるように見える、精神的な本性の学術的な歴史家にとってすら興味深い、一般的な事歴のヴァリエーションを示すことができるかもしれないけど。(ちょうどいま私はあなたが大笑いするのを空想し、あなたの笑い声が私の身体に響く)。こちらはいま秋で、オランダの海岸から来たカモメたちが、冬を川で越すために、家のそばを通り過ぎていく。

 いますぐ降りるわ!

 昨夜、Lに会い、海を呼吸するためにアントワープに行った。行きすがら見た幻想は、あなたとまた一緒にいるような感じにさせた。私は橋のうえをゆっくりと運転していた。夜空を背にした橋桁は、通り過ぎる車のヘッドライトによって灯されては消える黒と白の線だった。そして、澄み切った夜のなかから突然、白い霧が馬のかたちになって道路へと流れ込んできた。それはあなたに対する私の想いを、その夢のような形象と注意深い動きで慰めてくれる、夜の生き物だった。


終わり


(初出:The Films of Yvonne Rainer. Bloomington: Indiana University Press, 1989, pp.98-132.)